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ドキュメンタリー映画「不思議なクニの憲法」


ドキュメンタリー映画「不思議なクニの憲法」上映がありました。終了時には拍手がおきました。憲法って考えた事がない。そういう方々、また現政権が憲法をどうしようとしているのか?わからないという方々。この映画を観て、考えて、まわりの人たちと話しをしてほしいと思います。

昨年11月、大学女性協会70周年記念として、この映画監督 松井久子さんの講演が開催されました。以下に広報としてまとめた記事を記載いたします。

JAUW創立70周年 公開記念講演会 自立して生きるとは?―女性として、監督として 映画監督 松井久子氏  本日のテーマについて「こうあるべ き」というものはなく、私自身の70年の 人生、仕事と女性としての個人的体験を お話しすることでお役に立てればと思 います。 女性の地位向上には制度と共に、女性 自身の意識の向上が、まさに車の両輪と考えています。そういった意味で、私は 多分、大衆といわれる女性たちの意識の向上のために、映画 を作ってきたのかなあと思います。 私の最初のキャリアは、雑誌などにインタビュー記事を書 くというフリーのライターの仕事でした。それは、もの書き を目指していた夫との家庭を支えるためでした。女は男に愛 され、従い、下から支えて生きるのが幸せなのだ、と刷り込まれて育った私にとっては自然な事でした。しかし、そういった状況は長くは続かず、夫のDV から逃れるために、息子が5歳、私が33歳の時に離婚しました。当時は本当に心細く、 古典的な日本女性の美学をもって生きてきた私の遅まきながらの自立の第一歩でした。 その後、俳優のマネージメントをする会社を設立し、約10 年続けましたが、仕事で訪れる撮影現場で、監督の世界を皆で作り上げていくさまを目の当たりにして、私のしたかった のはこういう仕事ではないか、と思うようになったのです。 ドラマの制作を最初から一手に引き受ける映像の制作会社を設立したのは39歳の時、初めて「やりたかった」との思いで獲得した仕事でした。そのころ女性の製作者はほとんどいな く、私の描く女のドラマが次々と実現し、約10年間で、2時間 ドラマ40本を作りました。しかし、視聴率に追われ一夜かぎり花火のように消えてしまうテレビの世界に疑問を感じるようになっていました。 その頃に芥川賞受賞作の小説「寂寥郊野」を読み、それが 映画「ユキエ」になったのです。戦争花嫁としてアメリカルイジアナに嫁いだ日本人女性が、アルツハイマーを発症、妻 を介護するアメリカ人の夫との夫婦愛を描いたものです。どうしても映画にしたいと思い、3年がかりで資金集めをしまし た。シナリオをお願いした新藤兼人監督に背中をドンと押さ れ、映画監督に挑戦したのは、ちょうど50歳の時です。その 後日本を舞台に、認知症の姑と、介護の苦闘の末に姑を受け 入れる嫁を描いた「折り梅」を作りました。この作品が大変 多くの人に受け入れられ、次作の彫刻家イサム・ノグチの母 親を描いた「レオニー」へと繋がったのです。日米合作のこ の映画は多大な資金が必要で、企画から公開まで8年の歳月がかかりました。いつも体当たりとチャレンジの体験的フェミ ニストの人生だったと思っています。 (広報委員会 )


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