ちょっとだけ“いづみヒストリー”
富士山の麓、湧き水の豊富な場所に生まれ、~山の下から湧き出る泉~“いづみ”名づけられた。
保育園~4年通う。
小学校時代~その当時の青春ドラマ「俺は男だ!」に感化され、“青春チーム”をたちあげ、友達と外でよく遊んだ。小6のとき、水泳鬼コーチが赴任、瞬く間に泳ぎが速くなり、富士市で優勝!感謝!
☆他者の協力があったときに自分の努力は実を結ぶ
中学校時代~休み時間は廊下でピンクレデイの歌を踊ってすごす。家に3匹目となる雑種犬”ファイト“がきて16年間家族と一緒に過ごす。近所でも人気の犬だった。(喜)
☆ 元気と愛は悲しみを包み込む
高校時代~女子校。ハンドボールにすべてをかけた3年間。当時、先輩がアメリカに留学し、「私もアメリカに留学したい」と思った。
☆夢=わくわくする!
専門学校時代~よくバイトをした。スーパーのレジ&販売、寿司店で寿司を握り、出版前の本を読み感想をいう仕事など。はじめてハワイ旅行にいき、とっても気にいり、それから外国旅行がやみつきになる。現在43カ国。
☆夢を実現したいのならそれに向かって行動すること。
21歳~ 水泳コーチ。初めは子どもとの接し方がわからず(涙)、が、どんどん子どもたちの虜になり、ライフワークとなる“子どもに関わる活動”の原点となった仕事。陶芸教室にも通い、本格的ろくろを購入するほどいれこんだ。
☆何事も基本が大事!
24歳~ ついに!お金が貯まり8年越しの夢、アメリカシアトルへ語学留学。「日本に戻ったら子どもに英語を教える」を目標。ホームステイを経験。文化の違いに驚きも喜びも。日本では風変わりに思われた容姿(濃茶色の毛、ヘイゼル(茶緑)の目の色)が肯定的に思われ気持ちがスッキリとした。チョコチップクッキーにはまり、クッキーモンスター化した。(笑)オリンピック半島の夜空で見上げ宝石のようにちりばめられ光輝く星たちが忘れられない。帰国後、英語講師のポジションがみつからず、再度水泳コーチをして時期を待つ。日本の文化が留学前より愛おしくなり華道、着付けを習う。家の事情で家事のすべてを仕切る事に。これが32歳まで続く。
☆ 視野は大きく、なんでも体感せよ。
27歳~ 英語講師になる。ヤマハだけあり、歌あり踊りあり、身体を張った(笑)クラスを展開。「楽器を演奏してみたい。美しくみえそうな楽器で」と、フルートを習う。グループ発表会では隅のほうで演奏させてもらった。(笑)イタリア&スイスを1ヶ月旅行中、フィレンツェのドーモをみたとき、鼓動が高鳴り立ちすくんだ「一生に一度でいいからここに住みたい!」と、翌年29歳のとき、3ヶ月語学留学をした。朝はバールでドルチェ(ケーキ)とエスプレッソをいただき、授業後、行きつけの食堂で毎回おすすめ料理とそれにあうワインをだしてもらい、昼寝のあと夕方から街にくりだし、イタリア語の実践をした。週末はバスや電車で近くの村々にいった。どこにいってもおしゃれな感じであっぱれだった。たいてい夕食前になると広場におじちゃんたちがたくさん集まってくる。耳を澄ませていると、最後に「今日の家の夕食は〜だ」と口々にいって帰ってく。おもしろい!イタリアのマダムをみたとき、人は年を重ねるから美しいのだと感じた。
☆文化は身につけるもの。ついているもの。
33歳~アメリカの大学、大学院で学ぶ。20代で達成できず、再チャレンジの留学。「子どもの成長&教育・家族の関係」という問題意識をもっての留学は、8年遠回りしたおかげで掴んだものも大きかった。人のためと打ち込んだ勉強だったけど、実は自分が一番救われた。気の休まることのない家庭に育ったので、DV、虐待、アル中、借金とか家庭トラブルには敏感で、この世から根絶したいと思っている。途中、ストレスから人と話せなくなり月に1度スクールカウンセラーと話す生活が1年ぐらい続いた。その後、アウトドアクラブに所属し、元気が復活。ボランティアでDV被害者のシェルターで働き、チャイルドケアーセンターでバイトをした。中南米の人たちが軽やかに踊るラテンダンスに憧れ、友に誘われレッスンに。しかしものにならず。世界中からくる留学生の中には国の政治事情が悪く、難民として扱われている人や母国の政治運営が悪く、国民のためと必死に勉強や活動をしている人たちに出会った。また、9.11を経験し、政治がおかしくなると人々の暮らしもたいへんになるのだと強く思った。アメリカにいってから大学院いきを決めたので、資金が・・・。奇跡的に大学院助手のポジションを獲得し、無事卒業できた。
☆自己に偽りなく正直に向き合えたとき、他者と向き合うことができる
☆チャレンジを決めたとき、そこに不可能は存在しない
39歳~帰国後、家族生活教育(family life education)の推進活動をスタート。当初は大学機関、民間・行政機関に知り合いがいなく話がなかなか通じない。これには逆カルチャーショックをうける。地道に広報活動、講座、講演、そして大学で出前講義を続けた。もっと声の届くところへと、市議を志す。多くの支援をいただき、市議となる。野良猫“にゃんこ”が家にいつき、飼い猫に。家のお坊ちゃまにのぼりつめる。9年一緒に暮らしたにゃんこは2015年10月に、天国にいきました。
☆ありの一歩も続けていれば、道は開ける。
43歳~ 富士市議会議員を一期務める。市議として、ひとりの人間として、あらゆるものに全力投球。実にやりがいがあり、責任重大で、勉強になる仕事だと思う。今まで女性や子どもの世界にいることがほとんどだったけど、ここでは男の人ばかりいるので不思議な世界だとも思った。私たちの生活に関わる政策決定、意思決定の場所には男女の割合が偏らないほうが絶対によいと市議になってから思うようになった。2期目は次点となる。ありがたいことに次回への期待は大きい。
☆心の声に素直に行動しよう。それが世のため、人のため。そして自分が磨かれる。
47歳 大学の先生たちと協同で一般向け家族生活教育講座や青少年向けクラスを企画。また、子どもの遊び、静岡に住む外国人の暮らしの充実、女性の地位向上など活動を展開中。そして、次の政治の舞台に向けて勉強中。
☆未来に向かって今を楽しみ、今を真剣に生きる。
国連女性の地委員会CSW(ニューヨーク)に参加、本の執筆4冊、船で南半球一周、芸術鑑賞、資格取得等。今までやりたかった事を凝縮してやった。
51歳 富士市議会議員に返り咲き。感謝の言葉がでないほど、多くの人々に導かれて政治の表舞台にたつ。
これからもときに芸術と戯れ、外国を渡り歩き、政治の道を丁寧に歩いていきたい。国籍・性別・障がいがあるなしに関わらず、多種多様な人々が快適に暮らし活躍できるスケールの大きな街、日本にしていきたい!!私たちはだれもが無限なる可能性を持っているのだから。